太宰治、未完の小説「グッド・バイ」。
ドラマにもなったり、ミュージシャンに影響を与えたりと、現代でも色あせない魅力を持っている作品だと思います。
死の直前に書かれていたことから「遺書」と言われることもある作品ですが、雰囲気は明るく、コメディーの要素が強いのが印象的でした。
今回は「グッド・バイ」のあらすじと感想を紹介します。
また、もし続いていたらどうなっていたのかなどさらに作品を深掘りしてみました。
太宰の魅力をたっぷりご紹介します。
「グッド・バイ」の登場人物と背景知識
「グッド・バイ」は朝日新聞で連載されていた小説でした。
新聞社から依頼されたものでしたが、もともと太宰の中に構想はあったといいます。
太宰は「人間失格」を書き終えてからこの小説に取り掛かり、第13回までの連載原稿を書いたのち、自ら命を絶ってしまったのです。
なので、主な登場人物も以下の4人しかでてきません。
・田島周二
34歳の雑誌編集者で、闇商売の手伝いをしてもうけている。
10人近くもの愛人がいるが、関係を解消しまっとうな生き方をしたいと思っている。
・永井キヌ子
担ぎ屋(生産地から食料などを仕入れて売る)の女性。
普段は汚らしい格好で声も悪いが、着飾ると絶世の美女に変貌する。
田島の話に乗り、ともに田島の愛人のもとへと向かう
・文士
葬式の帰り道に田島と会話した男。
強引に田島に絡み、女性と別れる方法をアドバイスする。
・青木さん
田島の愛人の1人。
夫を亡くし、>日本橋の美容室で働いている。
田島が彼女の生活資金を援助している。
簡単なあらすじ
雑誌「オベリスク」の編集者、田島周二は闇商売に手を出し、金をため込んでいた。
美男子の田島には妻のほかに10人近くの愛人もいるが、そろそろまっとうな生活を送ろうかと考え始めた。
だが、女性に対して妙に律儀な田島は、「どうやったら愛人たちと綺麗に分かれることができるか」という悩みを抱く。
そんな折、ある老大家の告別式の帰り道に知り合いの文士から「とびきりの美人を連れて愛人のところを回っていけ」と助言された。
最初は鼻で笑っていた田島だが、次第に彼女たちとの関係をきれいに清算するにはこれしかないかと思い始める。
そんな折、顔見知りの担ぎ屋、永井キヌ子と偶然出会った。
普段のキヌ子は汚い格好をしていたが、服装を整えた彼女は抜群の美人であった。
着飾ったキヌ子の美しさに面食らった田島だが、彼女なら適任だと、一緒になって愛人のもとをめぐっていく。
キヌ子に振り回されながら、田島の苦労が始まるのだった。
解釈と感想
「遺書」と呼ばれるのはなぜ?
「グッド・バイ」が太宰の遺書と呼ばれることもあります。
1番大きな理由は、この作品を太宰は最期まで書いており、未完のまま自殺してしまったことだと思います。
よく「人間失格」が太宰の遺書とも呼ばれていますが、実はその「人間失格」を書いた後、執筆にとりかかったのが「グッド・バイ」でした。
また、「グッド・バイ」というタイトル自体が、私たち読者に対しての別れの言葉だと言う方もあります。
正直、私自身は「グッド・バイ」も「人間失格」も太宰の遺書とは言えないと思っています。
前者はそもそも内容が明るいですし、メッセージ性がそこまで強いとは思えません。
「人間失格」はもちろん太宰自身の体験をもとに書かれているのですが、読者が引き込まれるように構成を練って、フィクションに仕立て上げた作品だと思います。
太宰は最後、本気で死ぬつもりはなかったのではないかとも言われており、私もそんな気がしています。

完全版はどんなオチをむかえたのか?
もし、この小説の連載が続いていたとしたら、どんな結末を迎えていたのでしょうか。
太宰に原稿執筆を依頼した末常卓郎という人物は、以下のようなことを語っていました。
・太宰は逆のドン・ファンを描こうとした。
・愛人たちと次々にグッド・バイするが、思いがけず最後には自分の妻に捨てられてしまうのだ。
「ドン・ファン」というのは、スペインにいたという、伝説上の男性のことです。
彼は大層なプレイボーイとして知られており、オペラなどの題材にもなっています。
「グッド・バイ」で描かれるのは、まさに女たちを口説き落とすドン・ファンの真逆。
本作が続いていれば、主人公の田島は自分の愛人たちに次々と別れを告げていったことでしょう。
また、田島の最後は「自分の奥さんに裏切られてしまう」というものを想定していたということがわかります。
田島は愛人たちとの関係をきれいさっぱり清算し、妻と子供と暮らそうと考えているのですが、その夢はかなわなかったということですね。
自業自得ですが、悲しい結末です。
太宰ならどのようにこの結末を描いたのか、気になりますね。
井伏鱒二の言葉との関係は?
太宰の師匠にあたるのが井伏鱒二という文豪です。
「山椒魚」や「黒い雨」で有名な作家ですが、彼がある漢詩をこんな風に訳しています。
- 花に嵐の例えもあるさ さよならだけが人生だ(一部抜粋)
実は、太宰治自身もこの言葉に触れていて、次のような言葉を残しています。
唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私のある先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した。まことに、相逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きているといっても過言ではあるまい。
題して「グッド・バイ」現代の紳士淑女の、別離百態と言っては大袈裟だけれども、さまざまの別離の様相を写し得たら、さいわい。
(「グッド・バイ」作者の言葉 より)
このように述べて、「グッド・バイ」の作者の言葉としているのです。
明確な因果関係はわかりませんが、師匠の「さよならだけが人生だ」という言葉に着想を得て、太宰はこの小説を書こうと思ったのではないでしょうか。
書評・総合評価
- おもしろさ:★★★★
- よみやすさ:★★★★
太宰治「グッド・バイ」を評価すると上記のようになりました。
本当に未完であることが悔やまれる作品です。
太宰というと「暗い作風」だと思われていますが、このように明るい作品もあります。
文量自体もそこまで多くなく、ストーリーの展開も追いやすいので、スラスラ読めてしまう作品です。
田島が愛人たちにグッド・バイしていく上での苦悩は、はたから見ていればクスリと笑ってしまい、キヌ子に丸め込まれる情けない様子も面白おかしく描かれています。
読んだことのない方はぜひ手に取って読んでほしい小説ですね。
おわりに
今回は太宰治「グッド・バイ」のあらすじと解説を紹介しました。
田島の姿にも太宰自身の姿が投影されているのは間違いないですね。
だからこそ、親しみを覚えやすい作品だと思います。
ぜひ、この機会に1度読んでみてはいかがでしょうか。

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