久しぶりに「銀河鉄道の夜」を読んで、驚きました。子供の頃に読んで何となく内容は覚えていたのですが、「本当の幸福」を目指すというとても大事なテーマが扱われていたからです。
また、「アルビレオ」や「プラタナス」といった実在の言葉、「天気輪の柱」や「プリオシン海岸」といった賢治の造語が、作品に幻想的な雰囲気を与えており、不思議と引き込まれる物語になっていました。
ですが、この話の解釈はかなり難しいと思います。そこで今回は理解の助けとなるように「銀河鉄道の夜」のあらすじをまとめてみました。また、物語のポイントを3つに分けて解釈しているので、参考にしてくださいね。
目次
「銀河鉄道の夜」の登場人物・背景
この物語は、賢治が何度も修正を加えて書かれており、それぞれのバージョンで展開が異なります。一般的に知られているのは、最終的なバージョンなので今回はこれを見ていきたいと思います。
物語の舞台は田舎の割と小さな町か村であることが想起されます。宮沢賢治がこの作品を書き始めたのは1920年代だと言われているので、大正時代くらいの設定なのかもしれません。
次に、主な登場人物を簡単に紹介しておきます。
▼主人公とその友人たち
・ジョバンニ
主人公。病気の母と暮らす。父は漁に出ている様子。
・カムパネルラ
ジョバンニの友人で、互いの父親同士も友人である。
・ザネリ
ジョバンニたちの同級生。ジョバンニをからかう。
▼銀河鉄道で出会った人々
・大学士
化石の発掘を行っている男性
・鳥捕り
サギなどの鳥を捕って売っている男性
・灯台守
灯台の明かりの調整役
・かおる子
12歳くらいの少女、サソリについての物語を語る
・タダシ
6歳ほどの少年。かおる子の弟。
・青年
かおる子とタダシの家庭教師
あらすじ
この物語は9つのパートに分かれています。長さはかなりまちまちで、9番目のパートだけで半分くらいのボリュームがあります。ここでもパートごとにあらすじを見ていきましょう。
1:午后の授業
学校でジョバンニは天の川について先生から尋ねられるが、答えることができない。次に指名されたカムパネルラも同様に答えなかった。
カムパネルラが自分の境遇を憐れんでいることを思い、ジョバンニの眼には涙が浮かんできた。先生は天の川や星について説明し、授業が終わる。
2:活版所
学校が終わり、カムパネルラたちは今夜の「星祭」のため準備に向かうが、ジョバンニは1人活版所へ向かう。男たちにジョバンニは「虫めがね君」と馬鹿にされ、涙が出てきた。活版所のアルバイトを終えたあと、ジョバンニはパンと角砂糖を買い家路を急いだ。
3:家
帰宅後、ジョバンニは病気の母親と話をする。漁に出たまま帰ってこない父親の話や、クラスメイトが馬鹿にしてくること、その中でもカムパネルラは決して馬鹿にしないことを話した。カムパネルラの話題が出た後、牛乳をもらいがてら、ジョバンニは星祭を見に出かけた。
4:ケンタウル祭の夜
ジョバンニが坂道を降りていくと、同級生のザネリに出会った。ザネリはジョバンニをからかい、走って逃げていく。
時計屋をのぞいたり、街の様子を見ながら歩いたりしていると、牛乳屋にたどり着く。しかし牛乳は買えず、再び歩き出すとザネリやカムパネルラに遭遇した。再び自分をばかにしてくるザネリから逃げるように、ジョバンニは黒い丘に駆けていった。
5:天気輪(てんきりん)の柱
丘の頂上にたどり着いたジョバンニは天気輪の柱の下で寝ころんだ。汽車の音が聞こえ、その中で団らんする人たちを想像すると、悲しい気分に襲われた。ジョバンニは空の星を見ながら、昼間の先生の話を思い出していた。
6:銀河ステーション
突然目の前が明るくなり、ジョバンニはいつの間にか銀河電車に乗っていた。目の前の席を見てみると、カムパネルラも一緒に載っていることに気づく。
カムパネルラは「みんなは遅れてしまい、ザネリはもう帰った」ということを告げる。ジョバンニはカムパネルラと話し、車窓の外の銀河や燐光を眺めるうちに愉快な気分になってきた。
7:北十字とプリオシン海岸
カムパネルラは突然、母親が自分を許してくれるか心配しだす。何か決心したような様子のカムパネルラだったが、急に車内がパッと明るくなる。島に近づき、車内の人々は島の立派な十字架に祈りをささげ始めたので、2人もそれに倣った。
しばらくたつと、電車は白鳥の停車場に到着した。電車の外に降り立った2人は、「プリオシン海岸」で発掘作業を指揮する大学士たちと出会う。彼が言うには「ボス」という牛の先祖の化石を掘り起こしているのだそうだ。彼の説明を聞いた後、再び電車に乗り込み出発した。
8:鳥を捕る人
2人の後ろから声をかけてくる男がいた。その男は「鳥捕り」で、鶴やサギ、ガンを捕まえ押し葉にして食用に売っているという。しかし、ジョバンニが食べてみるとその鳥はチョコレートのような菓子だった。いぶかしむ2人の前で鳥捕りは外に出ていくと、本当にサギを捕まえて戻ってきた。
9:ジョバンニの切符
アルビレオの観測所に差し掛かったとき、赤い帽子を被った背の高い車掌が切符を確認しにやって来た。困るジョバンニをしり目に、カムパネルラは車掌に切符を差し出す。
あわてたジョバンニが上着のポケットを探ると、緑色の切符が出てきた。鳥捕りが言うには、「どこまででもいける切符」だという。
わけもわからず、なぜかジョバンニは鳥捕りのほんとうの幸せのためには自分を犠牲にしてもいいと考えた。しかし、いつの間にか鳥捕りはいなくなり、代わりに幼い姉弟と、青年がやってきた。青年が言うには、氷山にぶつかり乗っていた船が沈み、気が付いたらここにいたという。姉弟の姉、かおる子とカムパネルラが親しそうに話すのを見て、ジョバンニは孤独を感じる。
しばらくしてかおる子は「サソリの火」の物語について語りだした。また、サウザンクロスに近づき、ジョバンニは青年と本当の神について意見を交わした。彼らとどこまでも一緒に行きたいとも思ったが、引き留めることはできなかった。
カムパネルラと2人きりになったジョバンニは、「ほんとのさいわい」を探しにどこまでも一緒に行くことを約束する。しかし、気づくとカムパネルラの姿は消えており、涙があふれてきたところで、目が覚めた。
もとの丘にいることに気づいたジョバンニは、母のことが急に気にかかり、再び牛乳をもらいにいった。牛乳をもらい歩いていると、マルソに出会い、カムパネルラがザネリを助けるために川に入って出てこないことを聞かされる。
落ちてから45分たち、もう助からないとカムパネルラの父(博士)は息子の生存を諦めた。博士の前に出ていくと、ジョバンニの父から「今日にでも帰る」という手紙があったことを知らされる。
いろんなことで胸がいっぱいになったジョバンニは、母のもとへ牛乳を持って父のことを知らせに向かった。
解説-3つのポイント
あらすじだけでは何が何だか分からないという部分も多いので、作品のポイントを3つに分けて解説していきたいと思います。
①銀河鉄道の旅とは何だったの?
気が付くとジョバンニは銀河鉄道に乗っていましたが、これはどういうことだったのでしょうか。まず本文中の記述から、電車の中で出会ったジョバンニ以外の人々はみんな亡くなっていたことがうかがえます。
例えば、姉弟(かおる子とタダシ)と青年は船の事故に巻き込まれ、助からなかったことが語られています。そして、ジョバンニが目を覚ました後、カムパネルラも亡くなってしまったということが判明します。これらの事実から考えるに、電車の中には死者が乗っていたことがわかります。
また、姉弟と青年は、神様がおっしゃるという天上に降りていきます。亡くなった母親もここにいるとの発言からも、死後の世界であることがわかります。カムパネルラが、「あそこにお母さんがいる」と言い残して姿を消していることも、死後の暗示といえるでしょう。
ジョバンニは夢を通じてこの世界にいたか、もしくはすべて彼の夢だったのかもしれません。ジョバンニは丘の上で寝ころんでいるときに、汽車の音を聞き、その様子を思い浮かべていたので、汽車を反映した夢を見たのではないでしょうか。そしてその夢がたまたま死後の世界とリンクしたのではないかと私は思いました。
②ジョバンニが悲しい気持ちになるのはなぜ?
作中、しばしばジョバンニは悲しい気持ち、つらい気持ちに襲われています。例えば、活版所で「虫めがね君」と言われ笑われる場面、同級生のザネリにからかわれる場面、かおる子がカムパネルラと楽しそうにしている場面がこれに当てはまります。そして、最後にカムパネルラがいなくなった時には泣き出してしまいました。
これらの場面に共通しているのは「疎外感」です。ジョバンニは自分だけ独りぼっちという感覚を味わうたびに、悲しくつらい気持ちに襲われています。
そして物語の最後、父親が返ってくることを母に伝えに行くというシーンがあります。そこでは「もういろいろなことで胸がいっぱい」だという表現があります。ここには親友を失った悲しみももちろんありますが、自分を疎外することない家族が帰ってきた喜びも含まれているように感じます。
父親が帰ってきたことで、最終的にジョバンニは悲しい気持ちから解放されたのではないでしょうか。
③物語の主題は何?
この小説のテーマとなっているのは「ほんとうのさいわい」だと思います。これは「自分のことを差し置いて他者のために尽くす」という他者貢献を意味していると考えられます。どうしてそのように言えるのか、本文を通して考えていきましょう。
カムパネルラの発言から
まず「ほんとうのさいわい」という言葉が出てくるのはカムパネルラの発言です。
「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」(中略)
「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」
母のことを心配しながらも、カムパネルラは「自分を許してくれるだろう」と発言しています。ここはいったい何を表しているのでしょうか。
物語の終盤に判明しますが、カムパネルラは同級生のザネリを助けて死んでしまいます。息子が亡くなれば、母親は悲嘆にくれます。ですが、それでも「他人を助けるという本当にいいこと」をしたカムパネルラは一番幸せで、母もそれを受け入れてくれるということでしょう。
ここでも「ほんとうのさいわい」=「他者貢献」ということが表現されています。
「サソリの火」の物語から
かおる子がサソリの火について語る場面でも「ほんとうのさいわい」についての暗示がなされています。物語の中ではサソリがイタチに追いかけられ、追い回されているうちに井戸に落ちて溺れてしまいます。
溺れながらサソリは「こんなことになるならイタチに食べてもらった方がイタチのためにもなったのに」と後悔します。そして、このように祈るのです。
どうか神さま。私の心をごらん下さい。
こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。
すると、サソリの身体は燃え出し、夜の闇を照らすようになったというのがこの物語です。ここでも、「自分を犠牲にしても、みんなの幸せが大切」だということが表現されていますね。
「ほんとうのさいわい」を探して
銀河鉄道の旅も終盤に差し掛かったころ、ジョバンニの口からもこのような発言がなされます。
「カムパネルラ、また僕たち2人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸さいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
このように、作品の要所で「ほんとうのさいわい」ということが語られています。ここでは詳しく触れませんでしたが、鳥捕りや青年とのやり取りの中でも「本当の幸せ」についての発言があります。
ジョバンニは銀河鉄道の旅を通じて、考えを深め、かおる子が語ったサソリのように、自分の身を犠牲にしても他者に尽くすことが、本当の幸福なのだと結論を出したのです。
「ほんとうのさいわい」はどこにあるのか。ジョバンニはどこまでも探しに行こうとしますが、銀河鉄道の旅はここで終わってしまいます。そして、目が覚めてみるとカムパネルラが自らを犠牲にザネリを助けたことを知ります。
そうなると、親友の姿は理想の姿のはずですが、同時に大切な友を失ったジョバンニは何を思ったのでしょう。彼はこれからも「ほんとうのさいわい」とはいったい何なのか、本当に犠牲まで必要とするものなのかを考え続けていくのではないでしょうか。
書評・総合評価
- おもしろさ:★★★
- よみやすさ:★★★
「銀河鉄道の夜」を5段階評価してみると上記のようになりました。 作品全体に幻想的な雰囲気が漂っており、独特な世界観には引き込まれます。
また、「プリオシン海岸」など賢治の造語が綺麗で、少し儚い世界観を作り上げていると感じました。特に、ファンタジー小説が好きな方はハマるかもしれません。
一方で、「天気輪の柱」など何を意味しているのか不明なものが多く、登場人物の行動もすべてが理解できるわけではありません。なので、読了後は少しもやに包まれたような感覚になりました。
「本当の幸福を求める」というテーマ自体は深いのですが、それを読み取るのは苦労する作品ですね。また、独特の雰囲気を持った作品なので、人によって合う合わないが大きいと思います。
まとめ
今回は「銀河鉄道の夜」のあらすじや解説をご紹介しました。幻想的な雰囲気の中にも深いテーマが込められている作品になっています。読んだことがある方も、ぜひもう一度読み返してみてくださいね。
宮沢賢治はほかの作品でも「本当の幸福」は他者に貢献することであると描いています。例えば、「クラムボン」で有名な「やまなし」という他の小説でもこのテーマを扱っています。興味がある方はぜひ読んでみてくださいね。

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