宮沢賢治の作品の中でも、不思議な感覚に陥るのが「やまなし」です。こちらはタイトルよりも「クラムボン」という名前が印象に残っている方も多いかもしれません。
小学生の国語の授業で題材にもなっていますが、何を言っているのか解釈するのは難しいですよね。今回はそんな「やまなし」を再び読み、あらすじや解説、感想をまとめてみました。作品の謎を一緒に考えていきましょう。
「やまなし」の登場人物
この作品は川の生物のくらしが描かれており、人間は登場しません。どんな生き物たちが登場するか整理してみると、以下のようになります。
・カニ
兄と弟、そしてその父親が登場する。
・クラムボン
謎の存在。かぷかぷと笑っている。
・魚
クラムボンを食べた?カワセミに食べられる。
・カワセミ
魚を食べてしまい、カニの兄弟を震え上がらせる。
・やまなし
いいにおいがする果物、おいしいお酒になるらしい。
「やまなし」のあらすじ
物語は5月と12月の二段に分かれている。
5月
カニの兄弟が川底で話をしている。上では「クラムボン」が笑っていたが、魚が通ると死んでしまった。しかし、魚が下流の方に行くとクラムボンは再び笑い始める。
魚は上流と下流を往復し「悪いこと」をしていたが、突然「鉄砲玉のようなもの」に食べられてしまう。カニの兄弟は恐怖に震えるが、そこに父親が現れ、カワセミが魚を捕食したことを教えられた。
兄弟がカワセミを恐れる中、上流からは白い樺の花が流れてきて水面を覆っていった。
12月
カニの子供も大きくなり、季節と共に川底の様子も変わっていった。兄弟たちは泡の大きさを比べ合い、楽しそうにしていたが、突如黒いものが飛び込んでくる。 かつてのカワセミを思い出し、恐れる兄弟。しかし、父親がよくよく見てみるとそれは「やまなし」だった。
三匹が追いかけていくと「やまなし」はいい匂いをふりまいて、木に引っ掛かり止まった。もう少し待てばおいしいお酒ができると喜び、カニの親子はすみかに帰っていくのだった。
「やまなし」の解説と感想
クラムボンの正体はいったい何なの?
この物語を読んだ人が真っ先に疑問に思うのは「クラムボンって何?」ということでしょう。これに関しては、決まりきった答えはなく生徒の想像に任せるということで、学校の先生たちも苦労しているようです。
確かに、なんとでも取れる言葉ではあるのですが、クラムボンは水中のプランクトンのようなものではないかと自分は思います。
まず、「クラムボン」という言葉はカニの子供たちが発している言葉だということに注目します。子供たちはあまり外界のことに詳しいわけではありません。だから、「カワセミ」という存在も知らず、「青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾のようなもの」と表現しています。
ここから、自分たちがよく知らないが川にいるものにクラムボンという名前を付けて呼んでいたのではないかと考えられます。クラムボン=霊的な存在という説もありますが、それは拡大解釈のように私は思いますね。
さて、そのクラムボンですが、魚が上流のほうに移動すると死んでしまうことが本文からわかります。
つうと銀のいろの腹をひるがえして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行きました。
『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまったよ………。』
『殺されたよ。』
そして魚が再び下流に向かうと、クラムボンは笑い始めます。
このことから推察されるのは、
- クラムボンは複数いる、あるいは生物ではない
- クラムボンにとって魚は好ましくない存在
といったことですね。
…まだまだ全然わかりませんね。この状態ではクラムボン=泡、日光といった説も否定できない気がします。しかし、もう少し読むと次のようなことが書かれています。
『お魚はなぜああ行ったり来たりするの。』
弟の蟹がまぶしそうに眼を動かしながらたずねました。
『何か悪いことをしてるんだよとってるんだよ。』
『とってるの。』
『うん。』
「魚は何かをとっている」ということが兄のカニから語られています。この「何か」の正体も明言されてはいませんが、先ほどの「クラムボンにとって魚は好ましくない存在」ということを考えると、魚がとっていたのはクラムボンなのでは?と思えます。
そうなると、クラムボン=魚のエサという図式が出来上がり、水中のプランクトンのことかな?と想像されるのです。
ちなみに有力説の一つである「泡」については、違うと言える論拠が一応あります。それは12月の段で、カニの兄弟たちが「泡」という発言を自らしているということです。自分の知っているものを別の名前で呼ぶことはないので、クラムボン=泡は違うのではないかと思います。もちろん、カニの兄弟が成長して言葉を覚えたんだという反論もありますが…
しかし、それよりも、プランクトンを魚が食べ、その魚をカワセミが食べるという食物連鎖の図式をカニたちが恐れるというように解釈したほうが自然ではないでしょうか?
やまなしとは何なの?
この作品のタイトルにもなっているやまなしですが、これはいったい何なのでしょうか。調べてみると、やまなしという果物は実在し、次のように説明されています。
・日本では普及せず、現在ではごく一部の地域で、わずかな量が栽培されているのみ。
・熟するまで一定期間置くが、味は和なしに近い。また、食感も和なし同様シャリシャリした歯ごたえがある。
(参照:Wikipedia)
結構マイナーな果物で、一般的な梨のほうがおいしいという人が多いようです。ですが、作品のタイトルにもつけられ、作中でも非常に良いものとして扱われていますね。
間もなく水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青い焔をあげ、やまなしは横になって木の枝にひっかかってとまり、その上には月光の虹がもかもか集まりました。
『どうだ、やっぱりやまなしだよ、よく熟している、いい匂いだろう。』
『おいしそうだね、お父さん』
『待て待て、もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ沈んで来る、それからひとりでにおいしいお酒ができるから、さあ、もう帰って寝よう、おいで』
カニたちにとっても、やまなしはごちそうのようです。しかし、どうしてやまなしが登場し、どんな意味を持つのでしょうか。これは難しいですが、賢治の幸福への考えから考察してみましょう。
やまなしのテーマは何?
やまなしが表しているのは、幸福そのものだと考えられます。またこれは、5月に登場したカワセミとの対比になっていると思います。思い返してみれば、カワセミもやまなしも共通点があります。それは、カニたちの世界=川の中に突然現れたものという点です。
しかし、カワセミは魚を食べてしまい、カニの兄弟は恐れを抱きました。一方のやまなしは、辺りに良い匂いをふりまいて、カニたちは幸せな気分になりました。この対比が何を示しているのか、ヒントとなりそうな言葉があります。
例えば宮沢賢治は、「農民芸術概論綱要」という著作の中にこのように言っています。
- 世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。
賢治の考える幸せというものは、全体の幸福に根差したもの。そう考えると、やまなしは川の中という世界全体に良い匂いをもたらし、何の犠牲も払わせていません。これこそ、彼の幸福観そのものではないでしょうか。
書評・総合評価
- おもしろさ:★★★
- よみやすさ:★★★★★
「やまなし」を5段階で評価すると、上記のようになりました。ものすごく短いお話なので、5分もあれば簡単に読むことができます。難しい言葉も出てこないので、子供でもスラスラ読める作品ですね。カニの兄弟の可愛らしい様子にもひかれます。
宮沢賢治らしく作品には、どこか幻想的な雰囲気が漂っています。また、謎の存在である「クラムボン」も出てきて、不思議な感覚に陥ります。
ただ、先ほども少し触れましたが解釈が非常に分かれる作品です。「クラムボンの正体」や「作品のテーマ」について私の考えをお伝えしましたが、人によっては全然違った解釈もあり得ます。自分なりの解釈を持つことができれば、作品の味わいもより深まりますが、何となく読むだけだと面白さが実感できないかもしれません。
おわりに
今回は宮沢賢治の「やまなし」のあらすじと解釈をお伝えしました。「ほんとうのさいわい」というテーマは宮沢賢治の小説にも多く登場していますね。例えば、「銀河鉄道の夜」でも主人公のジョバンニが旅の中で「ほんとうのさいわい」を探していきます。

一方で、魚やカワセミといった存在は、生きるために他者を犠牲にする存在として描かれています。生きるために他の生き物を食べることは仕方のないことですが、これは賢治の考える「世界全体が幸福」という状態には当てはまりませんよね。
賢治はこの作品を通して、すべての人が幸福であることの素晴らしさを訴えたかったのだと感じました。
宮沢賢治の作品はこちらでも解説しています。

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